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2020-01-18

1. シンプルライフ

 

シンプルライフ  詞・曲 わららべ尚道

たとえばひとつの夢が かなえても かなえられなくとも
おまえの後ろにいつも 希望の海が光ってる
夢を追いかけ追い越し 自分がわからなくなっても
おまえの足下には 小石がどこかを招いてる

遠い坂の上の公園で きみと出会った
夢のひとときは 風に流れた

たとえば日の当たらない人生で 終わったとしても
おまえに与えられた役を 演じたと思えばいい
悲しいできごとが 待ち受けていたとしても
かげひなた選ばずに 道なりに歩いてゆけばいい

長い坂の上のアパートで きみと暮らした
夢のひとときは 風に流れた

たとえば ひとつの歌が
流行っても 忘れられても
おまえが口ずさむ そのたびによみがえる

嵐の海のように 時代が波立っていても
おまえはいつも静かな 入り江のようなやつだった

白い坂の上の霊園で きみと話した
夢のひとときは 風に流れた
夢のひとときは 風に流れた

 

この曲はアメリカのモダンフォークソングの常道を踏まえて作った作品ですといえば少しおおげさになりますが、そういう感じなのです。

どこがアメリカのモダンフォークの常道なのか、アメリカのモダンフォークを代表する曲のひとつ「花はどこへ行った」という曲で説明してみましょう。

「花はどこへ行った」 (原題:Where have all the flowers gone)
※アメリカンフォークの父とも形容されるピート・シーガーによる作詞作曲

歌詞の構成を見ると「花はどこへ行った 少女がつんだ」→「少女はどこへ行った  男の下へ嫁に行った」→「男はどこへ行った 兵隊として戦場へ」→「兵隊はどこへ行った 死んで墓に行った」→「墓はどこへ行った 花で覆われた」と続き、再び冒頭の「花はどこへ行った 少女がつんだ」となります。

最後には必ず「いつになったら わかるのだろう」という言葉で締められているため、「戦争がいつまでも繰り返され、いつになったらその愚かさに気づくのか?」という反戦歌として歌われることが多い曲です。

この歌詞を見てすぐにわかるのは「花はどこへ行った」ということばのリフレーンです。シンプルライフでは 「坂の上の何々」という繰り返しがあり、最後に「夢のひとときは 風邪に流れた」というリフレーンでしめくくられています。

他にはアメリカンフォークによく出てくるものとして「お墓」があります。
出てくる頻度は日本の歌より高く感じられます。

この「花はどこへ行った」でも出てきていますね。

シンプルライフではお墓ということばは出てきませんが、
霊園ということばで場所を示しています。

 

最後に「シンプルライフ」というタイトルについてですが、
私たちは幸福についてかんがえるとき、とかく条件闘争になりがちです。

あれがあればよかったのに、あれが達成できればもっとバラ色の人生になったのに、

しかしその条件を外して、もう一度ひとの幸福について考えてみると、
案外にシンプルに、そして無選択に構えていた方が幸福はあちらからやってくるものだと気が付くはずです。
という意味をこめて「シンプルライフ」というタイトルにしました。

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