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2020-02-03

詩「反転」

都会の夜の川の絵

「反転」

七月の真夜中の東京
道路の傍で立っていると
タクシーボートが夜の流れに乗って近づいて来るのが見えた
屋根も囲いもない銀色のウレタン製のイカダを運転しているのは
長い髪にレモンイエローのキャップをかぶった薄緑いろの麻のシャツの女だった。
わたしはすかさず手を挙げた。
この時刻になるともう普通のタクシーはないからこれでいくしかないのだ。
タクシーボートがわたしの前にゆっくりと止まる。
運転手の女は「どうぞ どうぞ」とぼそぼそと言った。
そしてペコチャン人形をおもわせるふっくらとした頬の顔に作り笑顔を浮かべた。

いかだに飛び乗ると、
わたしは「新橋の方なんですがと言った。
「ああ、そっちの方ですか。」と彼女は少し戸惑ったような
でも少しうれしそうな表情を浮かべたがすぐに思い直すと
「では発射します。」とひどくまじめそうに言って
タクシーボートは音もなく するすると動き始めた。

彼女はおんな船頭よろしく手にしたいっぽんの竿を使っていかだが両岸の建物に
近づき杉井ないように距離を保ちながら船を進めていく。
岸辺の柳の街路樹が照明に映えてうつくしい。
灯を落とした 歌舞伎座の建物が通りの先に見えてきたとき
彼女が思い出したように
「あそこの信号機の上をごらんください。」と
バスガイドのような手つきで指さした。
「あちらに見えるのはマダガスカルメガネザルでございます。」と彼女が言った。
見ると、マダガスカルメガネザルが
信号機の上に腰かけて大きな丸井眼で わたしたちをものうげに眺めていた。

それから彼女は申し訳なさそうに
「お客様、すみません、地図を確認しないといけないのですが、そっち方面の地図を
かくにんするにはボートを裏返しにしないといけないので、
裏返しにしてもよいでしょうか。」
と言った。
どういう仕組み化、地図が行き先によってはボートの底に貼り付けてあるらしい。
「わかりましたどうぞ。」とわたしはものわかりのよい大人を装って言った。
「ありがとうございます。たすかります。」と彼女は言った。
そして私がボートから飛び降りて流れの中で立ち泳ぎをしていると
彼女は手にしていた竿をボートの下に差し込んで いっきにボートをひっくり返した。

その瞬間 朝日と夕日がいっぺんにはいりなおしたかのようなまばゆい閃光が
ボートとその周辺をつつんだ。
気が付くと私はボートにのっていた。
私の頭にはイエローレモンのキャップが
手には竿が握られていた。
どうやらわたしは運転手になったようだった。
「お客さんどこまで行きますか。」
お客になった彼女にわたしは言った。
「東京駅の八重洲口までおねがいします。」と
彼女は言うとうれしそうに 微笑した。

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