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2020-10-19

随筆「昭和は遠く なりにけり」

雀の親子の絵

 

昭和は遠くなりにけりといえば もちろんあの句についてまずは紹介しなければならないでしょう。
降る雪や 明治は 遠くなりにけり
です。
作者は : 中村草田男  明治34~昭和58年。
昭和6年、草田男31歳の作。20年ぶりに母校東京青山の青南小学校を訪ね、往時をしのんで作った句です。
降りしきる雪の中に居ると、時と場所の意識が空白となり、現在がそのまま明治時代であるかのような錯覚と、あの明治時代が永久に消えてしまったとの思いが同時に胸に押し寄せて来たのでした。
一般に 俳句では一つの句の中に やとけりをいれることはよしとしません。
句の中でもっとも感動したところにやとかけりなどの助詞をつけることで感動を強調しているので、一つの句のなかに二つもそういう点があるのはどんなものかということになります。初心者がもしこれを先生に見せれば必ず修正されるでしょう。
しかしまあ、この句はあまりにも有名なので
もはやその点をあえて指摘する人はいません。

さて この文を書いているのは 令和二年(2020年)です。
昭和は先に終わった平静の向こう側に退いてしまいました。
だからというわけではありませんが、
最近 昭和について考えさせられることが少々ありましたので それについて書いてみたいと思います。
ひとつはパンデミックと呼ばれるいわゆる新型コロナウイルスの流行がもたらしたものについてです。(以下はコロナと略す。)
コロナによって以前と以後についてあきらかな違いが生じると多くの知識人が申していますが、それを過去の時代の変化と比較すると次のように言えるのではないかとおもうのです。
たいへんざっくりとした言いかたですが 例えば明治維新は武士が武士にの世の中を終わらせました。
太平洋戦争は軍人が軍人の時代を終わらせた戦いでした。
そしてこのコロナで終焉を迎えるのはある種の昭和のおじさんの時代であると思います。
ある種の昭和のおじさんたちとは
① 女性の可能性をうまく引き出すことができない昭和のおじさん
② デジタルなこと、ITについて無関心なおじさん
③ 文化的な教養や蓄積がないおじさんたち。
ゴルフと飲み会にもっぱら余暇を費やしているおじさんたち。
一方で、美術館や音楽回などに出かけて自分の目や耳を肥やしている人たちもいたというのに
コロナ以後に退場していくのは 以上の①から③にの掲げた この定義に入る人たちです。
コロナによって今まで気が付かなかった事象が白日の下にあきらかになってしまいました。
先進国の中で日本がデジタルの後進国であり、女性活用についても後進国であることがはっきりとしてしまいました。これらはもう20年以上前から指摘されていたことでしたが、やはり昭和のおじさんたちが納めている世界ではそれらを改めることは無理だったようです。
もちろん世の政治家たちの現在の顔ぶれは全く変わっていないのですが、武士が武士の世の中を終わらせたようにある種の昭和のおじさんたちが、自分たちの時代の幕引きができるかどうか そしてもしできなければ、時代は彼らを舞台から退場させることになるでしょう。それが時代というものです。
それが時代というものですとはなにか冷淡でもあり、小気味よい感じもしますが、
おそらくはそういうことになるでしょう。

その一方で改めて昭和について考えることがあります。
最近昭和に生まれた歌や小説や映画などに触れたときに これはここには昭和の時代の空気があると感じるようになりました。
まるでかんづめのふたをあけたときにそのなかに収まっていた時代の空気が ぽんとでてきたように感じられるのでした。
そこには相手に対する思いや人間をたいせつに扱う身振りのようなものが感じられます。
なにかマニュアル化されたものではなく自然に身に着いたしぐさや物言いなどとして伝わってくるものがあります。
それらはやはりたいせつにしていきたいひとつの文化的な遺産のように思うのです。
少し前に歌番組で歌手の由紀さおりが今大切にしている歌の一つとして「生きがい」という歌を歌っていますと言って聞かせてくれました。
ヒット曲なので知っている歌でしたが、あらためてその歌詞に触れてみるとこういう歌は今は生まれないだろうなという歌詞でした。

 

「生きがい」由紀さおり

例えば一番の歌詞の前半は

「今 あなたは 目覚め たばこをくわえてる。

早く 起きてね、バスが来るでしょう。
お茶さえ 飲まないで 飛び出して行くのね。
からだに毒よ いつも そうなの。」
山上道夫作詞「生きがい」

ここには朝を共にした 男女の様子が描かれていますが、
女性は少し距離をおいて遠慮がちに男性を見ている構図が浮かんできます。
せっかく女性が入れたお茶でしたが、
そんなの飲んでる暇はないよと言って男性は出かけて行きます。
それに対して
お茶さえ飲まないで 飛び出して行くのね、からだに毒よ いつもそうなのと
声をかける女性がいます。
自分の思いを語らせるのではなく、
他社のまなざしの中で語らせている点が興味深く感じられます。
この物言いが古いとか 今風ではないというのは簡単ですが、
このようにやさしさを表現することもできるのだなと
改めて感じさせてくれた 歌でした。

山上道夫 (1936年 東京都生まれ)
父は、昭和初期に活躍した音楽家の東辰三。昭和初期に活躍し、「港が見える丘」
「む君待てども」「荒鷲の歌」等の歌曲を作詞・作曲した。
山上は、喘息で闘病生活を送る思春期をすごし、学生生活を満足に過ごすことができなかったそうです。
山上道夫はフォークソングから歌謡曲全般にわたって幅広く歌詞を書いてきた人です。ほかにどのような作品があるかというと フォーク系のものでは、「翼をください」「岬めぐり」「学生街の喫茶店」など 歌謡曲では「夜明けのスキャット」「瀬戸の花嫁」「禁じられた恋」「ある日突然、トアエモア」「ああ 人生に 涙あり、水戸黄門の主題歌、」「お世話になりました、井上順」などなど幅広いジャンルの楽曲に及んでいます。
いずれも人のやさしさや思いが伝わってくる作品が多いように思われます。

最後に私からの一句。

稲雀 昭和は遠くなりにけり

稲雀(いなすずめ)は 稲の実った田の空に群がる雀の様子を言います。
都会で雀を見なくなったと言われて久しくなりました。

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