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2022-08-05

今月の俳句「七月」2022

ヤシの木の絵

椰子の木に 掛かる 梯子や 青葉潮

青葉潮は 青葉の頃の黒潮のこと。
椰子の木があるといかにも南国的な雰囲気を出してくれるので御宿町にも浜辺や駅からの
通りにそれらしい木の姿が認められる。ただこれも茶色にかれた葉が混じっていた李、
その枯れ葉が歩道に落ちていた李しては興ざめということで
例年初夏のころに梯子を掛けて枯れた茶色の葉を一斉に刈り込んて
観光シーズンに備えているのだ。

 

アイスクリーム トーチのごとく 木陰

トーチとは たいまつ。特に聖火リレーの走者が持つものをいう。
屋外でいただくアイスクリームは格別だ。ショップで買ったコーンタイプのアイスクリームを体から少し離して抱えながら
適当な木陰のベンチを見つけていただくことになる。

 

七夕の 街にゴジラの いた頃は

私の育った町では まだ町の商店街が元気だった70年代の頃 七夕まつりが盛んだった。
そのころ怪獣ブームで人気の高かったゴジラも登場していたのが印象に残っている。
2メートルぐらいの高さのゴジラが電気店の前に立ち、録音されたあの声を発していた。
あのゴジラは 元気だった 商店街の象徴でもあった。

 

万緑や 森の音色の 楽師たち

万緑とは 木々の緑が深まり 生命力にあふれる様子。
楽師たちとは森の音楽家、 鳥やカエルや鹿や昆虫ばかりか 子のはをゆする風の音や 河のせせらぎ、雨の音など森の生命力そのものが森の音色となっている。

 

奥秩父おくちちぶ したたるる山の 腹に

山滴るは 夏の季語。春は山笑う、秋は山装う、冬は山ねむるである。
初夏の頃の奥秩父は 湿度が高く滴るの形容そのものらしい。濃い緑の木々のかの中、
苔むす原野が広がり。
山のガイドさんの、「ここは山の斜面を登るというよりも山のお腹に入って行く という感じですよ」ということばが印象的だった。

 

法螺貝ほらがい六根清浄ろっこんしょうじょう 山のらい

山伏「やまぶし」と呼ばれる山岳を舞台に修行を重ねる人たちがいる。法螺貝を吹き六根清浄を唱えながら山を登る。
その法螺貝の音に呼応するように 遠くで雷鳴の音が聞こえてくる。
ろっこん-しょうじょう【六根清浄】
欲や迷いを断ち切って、心身が清らかになること。
「六根」は私欲や煩悩、迷いを引き起こす目・耳・鼻・舌・身・意の六つの器官をいう。 「清浄」は煩悩や私欲から遠ざかり、清らかで汚れがない境地。 略して「六根浄」ともいう。

 

父を語れば 君は少女に吉里吉里キリキリ

先日徹子の部屋に作家の故井上ひさしさんの娘、三女の方が出演して 父親である小節かにして劇作家である井上ひさしさんについて語っていた。
話の内容というよりも その語り口や表情から彼女が持っている純粋な部分が伝わって来た。両親の育て方がよかったのだろう。
二女の方のエッセイを前に読んだことがあったが、その方もやはり純粋なものを内に持っていることを感じさせる人だった。
命日の4月9日は没後5年にあたる2015年より、代表作「吉里吉里人」にちなんで吉里吉里忌と名付けられている

 

二の腕に 梅雨寒つゆざむ在りて 女神像

 

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