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2022-08-23

今月の俳句「八月妖怪特集」2022

アマビエの絵

団扇にも アマビエの居て 子供園

江戸時代 肥後(熊本県)ノ海に光るもの 現れる。そあまびえといい、この先六年豊作が続いたのち 疫病が流行る。そのときは自分の姿を絵に描いたものを持つとよいと 予言した。
このあまびえが新型コロナの流行を受け 復活、拡散して団扇などいろいろなものに描かれるようになった。

 

予言獣 くだんの眼にも 秋の雲

あまびえ同様に江戸時代から不安な時代に 突然現れて 将来起きることを予言する妖怪を 人は予言獣と呼んだ。
太平洋戦争の末期にも くだんと呼ばれた 人の顔と牛の胴体を持った妖怪が出現した。山口県岩国市に現れた くだんは「この戦いは五月ごろには終わるだろう」と予言した。それに対して憲兵隊は関係者四名を逮捕したという。

 

土用波 遠州灘に 波小僧

静岡県御前崎から愛知県東三河の伊良湖岬にかけての遠州灘には波小僧と呼ばれる 妖怪がいた。昔 不漁の続いたおり 漁師の網に 黒い得体のしれないものがかかった。
こいつが不漁の原因かと すぐに殺そうとしたところ、その黒いものが「私は波小僧というものです。私を生かしてくれたら 漁に役立つような 天候について太鼓をたたいてお知らせしましょう。もしも海の東の端で太鼓が聞こえたら海は荒れる、西の端て聞こえたら穏やかな海になるでしょうと言ったという。
以来遠州灘の漁師たちは波の音に混じって聞こえてくる 波小僧の太鼓の音に耳を傾けるようになったという。それはまるで沖合に数機の飛行機が鳴らすエンジン音に似た重低音なのだという。

 

人魚らが 水 注ぎおり 日照り空

滋賀県東近江市 琵琶湖に注ぐ 川の近くに 人魚淵にんぎょぶちと呼ばれるところがあったという。
そこでは 人魚を見かけたとい うわさが絶えなかった。
千四百年ほど前に このあたりで日照のりための水不足が生じた。
周囲は水の絶えたなかでこの人魚淵だけは 豊かな水をたたえて、周辺の人々に水をもたらしたという。
そのとき 複数の人魚たちが 現れて見ずをこの人魚淵に注いでいる光景があったという。ところが昭和22年の日照りで周辺の田畑が水不足にみまわれたときに やはりそこだけは水をたたえていた人魚淵の水をポンプですっかり汲み上げてしまってからは人魚たちは姿を見せなくなってしまったという。

 

川端に胡瓜の匂 河童跳ぶ

岩手県岩泉は河童がしばしば出現することで有名なところだという。
今でも子供の頃に河童を見たという経験談を 高齢者からきくことができるようだ。
ある男性は 子供ぐらいの背丈だが 尋常ではない速さで川を泳いでいく河童の姿を見かけたという。
河童の好物といえば 昔から 胡瓜が有名だが、胡瓜は河童の体臭に似ているという話もあった。

 

蕗の葉の 下にこっそり コロボックル

コロボックルは 北海道の アイヌの人たちの間で伝えられている小人のことで、蕗の下にいる人という意味がある。蕗の下というと何か掌に乗るぐらいの大きさのようにも思われるが、北海道の蕗の中には二メートルほどの高さの大きなものもあるというから、実際は子供の腰ほどの高さであったと伝えられている。
性格は恥ずかしがりで人前に出ることを好まない人たちだったという。
アイヌ人と交易するときにも こっそり 戸の前に物を置いていくというやり方であれこれ話を交わすこともまれだったという。

 

廃校に 座敷童が一人二人りと 蝉時雨

子供の人口減少で どこでも小学校の廃校は 珍しくなくなってきた。
岩手県 遠野にある 小学校の廃校をたまたま尋ねた女性がいた。
黄色いカーテンの陰で なにか動く人影が、ここにはだれもいないはずなのにとそちらの方を眺めていると廊下をパタパタと着物姿の子供が二人 駆けて来るのか見えた。座敷童に間違いないと思ったという。
うちに来たら ご飯を出してあげると声を掛けて 帰宅した。暖かいごはんと冷たい水をお供えして眠りに着いたが 物音にめを覚ますと、自分の寝ている布団の周りを二人の座敷童がぐるぐる走り回っていたという。

 

かべの 真っ暗坂を 夏の朝

塗壁ぬりかべについて
福岡県遠賀郡(旧・筑前国遠賀郡)の海岸地方の伝承によると、夜道を歩いていると、目の前が突如として目に見えない壁となり、前へ進めなくなってしまうというもの。
壁の横をすり抜けようとしても、左右にどこまでも壁が続いており、よけて進むこともできない。蹴飛ばしたり、上の方を払ったりしてもどうにもならないが、棒で下の方を払えば壁は消えるという 漫画家の水木しげるはラバウルのある南洋諸島に出兵したおり、昼の密林を行軍中にいきなり四方を闇に包まれ前にも後ろにも進めなくなる経験をした。そしてこれは塗壁ぬりかべの仕業に違いないと感じたという。
御宿町でも 十年ほど前に高齢の女性から以下のような話を聞いたことがある。
夏の朝、もうすっかり明るくなった時分 彼女は牛乳配達の仕事をすませて 帰りの道を歩いていた時だったという。そこは造り酒屋のある台地から昼なお暗い林の中の坂道を歩いていたところ 急に四方が闇に積まれて 起ち往生してしまったのだという。しばらくその場で足を止めているとやがて闇が消えて もとどおりの坂道にいる自分に気づいたのだという。

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