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2022-04-17

今月の俳句「三月」2022

竹林

 

今年早 春告げ鳥が 浜通り

春告げ鳥とは 鶯のこと。
今年は例年より早く三月の初旬に鶯の声を聞くことができた。
二月まで寒い日が多かったので 温暖な海岸近くに降りてきていたのだろうか。

 

水筒の コーヒー空けて 大干潟

大干潟は 春の季語 春は干満の差が大きくなって干潮時には干潟を広々と残して遠くに引く。
特に彼岸の頃は干満の差が大きいので拾い干潟が現れる。
持参した水筒のコーヒーを飲み終えた頃にはまた一段と潮が引いて干潟が広がっていた。

 

野辺のべに キャラメル分けて 祖母と子と

昭和の子供は今とは異なり 素朴な楽しみを見つけては満足していた。
春休みに祖母に連れられて弟と伴に田舎の田園地帯を歩く。
遠足と称して 駅から親戚の家までの四時間近くの道程をただ歩くだけなのだが、途中で野の小道の傍らにに腰を颪て 祖母の作った握り飯やキャラメルを食べたりした。
あの時分には キャラメルというのは特別な食べ物であった。
「さあ 遠足に行くよ」という祖母のひとことでわくわくできた。
ただそれだけのことが何か大きな楽しみのように感じられた時代だった。

 

竹山の 陰りて 縁に 草の餅

祖母との遠足の終点は 親戚の農家であった。
門らしいものは何もなく 懐を明けているかのように暗い木々のが途絶えて明るい小道が開けると そこが親戚の家の入り口だった。
家の前には深い竹山があって春には鶯がいい声で鳴いていた。
奥さんは よく草餅やアンころ餅など作って待っていてくれた。
到着すると 挨拶もそこそこに縁側でごちそうになった。

 

今年はだれぞ たらの芽の天ぷら あげる人

生協の野菜のページにいつごろからか 一年に一度だけ たらの芽が出るようになった。
最初はただ眺めていただけだったが、昨年から取り寄せて 出入りのヘルパーさんに天ぷらにあげてもらって季節の楽しみとするようになった。
私のところにはいつも五人ぐらいのヘルパーさんが来ている。
生協のページを開いて注文書にタラの芽のオーダーを書いてもらったのはYさんだった。
「他にはなにか必要なものは。」と私が聞くと むきエビもあるとたまねぎといっしょにかき揚げにできるからと言うのでそれも注文書に書いてもらった。
「肝心のてんぷら粉もないけど生協のページに出ているのは大きな袋だから ほんとはもっと小さめでいいんだけど」と言うので、「今度コンビニで買って来るよ」と私は言った。
翌週外出解除の時間にヘルパーのTさんと出かけて小さめの袋のてんぷら粉を買ってきた。
そして翌週にタラの芽などがとどいて、それを天ぷらに挙げてくれたのはSさんだった。

 

馬の子や 音なの塗り絵 せがまるる

塗り絵は静かなブームとなっているらしい。
書店に行けば大人のための塗り絵の本が並んでいる。しかし、それを欲しがっているのは知人の孫。
この幼い女児はもうアンパンマンの塗り絵には物足らないのだという。
それで知人が選んだ音なの塗り絵とは。

 

夕燕 貫く息の リコーダー

リコーダーという楽器はシンプルで不思議な楽器だ。
クラリネットのようにリードが付いているわけではない。フルートや尺八と異なり、誰でも息を吹き込めば 音が出る。
しかし、吹く人によってそれはただの縦笛にもなり、リコーダーという確かな楽器ともなる。
ダウン症のリコーダー演奏家 荒河知子のそれは 一筋の貫く 音を持っている。
まるで夕空を行く燕のように。聞く人をはっとさせるものがある。

 

彼岸の琴 今思い出し ギター置く

彼岸が近いことをすっかり忘れていた。中日まで一週間あるかどうかというあたりで急に思い出した。
まるで昼寝から我に返った人のように。

 

ニューオリンズの 晴れの葬列 鳥雲に

ジャズ発祥の地 ニューオリンズは 葬列の仕方も独特だ。
亡骸を墓地に納めると 帰りはトランペットやトロンボーンなど管楽器と大小の太鼓を連ねた。
マーチングバンドが華やかに演奏を聞かせる。
肉体を離れた魂 は神の祝福を受け、晴れて聖なる者、つまり聖者となったことを祝うためである。

 

鳥雲には 春の季語。春 越冬して来たに帰る

渡り鳥が雲間に消えていく様子をいう。

 

ランナーの 音密やかに 春の宵

日没後間もない薄闇の中 どこからともなくジョギングをする人の足音が通りに聞こえてくる。
軽く規則的なリズムでその足音は近づいてきて、息遣いまで聞こえたかと思うとまたあっという間に薄闇の中に消えていく。
あの人たちはここに来る寸前までも自らの存在感を消しながら 走っているかのようだ。

 

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