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2020-06-12

六月の自選俳句(2019年以前)

アマガエルの絵

 

六月を たれか金槌 叩いてる

捨て置かれ氏 グラジオラスの 青々と

紫蘇の葉の 湖(うみ)に掌 泳がせる

鉢植えの紫蘇がこんもりと葉を茂らせた。柔らかく縮緬のような手触りの紫蘇の葉は
なでてるだけで心地よい。

 

岩牡蠣の テトラポッドを 城と成す

釣りや磯遊びの好きな知人が近くの海でテトラポッド(波消しブロック)に貼り付いた岩牡蠣を取ってきて たらふくいただいたとのこと。
さざえやアワビなとは自由に取ることは 認められていないようだが、牡蠣についてはあまりうるさく言われないらしい。
腰まで海につかりながら収穫したという彼の話を聞きながら びっしりとテトラポットに貼り付いている岩牡蠣の様子を私はまるで城の石垣のように想像した。

 

浜日傘 立てて翁(おきな)は 鮒を釣る

浜日傘はビーチパラソルのこと。
八十六歳の男性が足を悪くしてしばらく治療に来ていました。雑談のおり 河で箆鮒を釣るのが一日の楽しみだとのこと。足が悪いので座布団を敷いてあぐらをかいて釣ってますとのこと。
それにしても日差しがきつくて暑くはありませんかと尋ねると、
「なあに、ビーチパラソルを立ててやってるから大丈夫ですよ。」とのことでした。

霊園の 赤い空気の皐(さつき)かな

霊園とあるが、実際は両親の眠る御宿町の最明寺の墓地である。しかしここはまだ
できてからさほど間が泣く、、明るく整然とした気持ちのよい墓地である。
墓石の傍らにはお寺が植えてくれた皐の赤い花の一群が咲いていた。それが私の目にはまるで赤い空気のように感じられた。

蛙(かわず)鳴く 上総(かずさ)の山は 蛙国(かわずこく)

千葉県は北から南にかけて古来下総、上総、安房の三国に分かれていて 今でも地名に残される。
千葉市から車での帰路、房総半島の背骨である市原から大多喜へと山間部を抜けて外房に降りていく。このあたりは上総の国である。
が、夕刻千葉市周辺の都市部から山間の道路に入った瞬の間から蛙の大合唱に包まれる。その圧倒的な臨場感はここを蛙国と呼びたいほどだ。
童謡「月の沙漠」の誕生の地として知られる千葉県御宿町では六月末の夕刻に 花を囲んでの小さな集いがあった。それは月見草の花畑を囲んで月見草の花をめでて、「月見草の花」という歌と月の沙漠を歌う集いだった。

三日月(みかづき)のあこがれこぼし  月見草

その日はたまたま三日月の晩だった。月見草は夜に直径五センチほどの黄色い花を咲かせる。

気が付けば 石けんの香り 月見草

金木犀のような強い香りではないが、足下に注意するとあきらかによい香りが花畑の辺り一面を包んでいることに気が付く。

 

月見草 囲みて歌う 歌がある

「月見草の花」という歌があることをしったのは最近のことだった。
尽きの光を吸って咲くという印象的な歌詞のある歌である。
月見草の花畑をかこんで みなでこの歌を歌った。

月見草と 歌声ばかり 夜の底

御宿町 月の沙漠記念館にて 流木(りゅうぼく)を使った立体絵画の展示会を見る。
池田忠利さんによる現代アートで海岸に漂流したものを題材にして立体的な絵画を制作している。
流木の他にワイヤーや烏の毛なども使われていた。
写実的な絵画、風景画ではなく、前衛的現代的な表現の中に乾いたユーモアを感じさせてくれるアートである。
作者の了解を得て手で触りながら観賞させていただいた。

 

流木(りゅうぼく)の 君は ピノキオ ぼくアトム

流木の 乾いた笑い 手で受ける

月明かり 生まれ代わっても 流木さ

級友に ふわり取らるる 夏帽子

なつのれん わけいったとき とざされる

五月雨や 法事の宿の 声包む

窓を開けると、駐車場を挟んだ隣家で法事か何か人が集まって話したり笑ったりしている声が雨音のカーテンごしに聞こえて来た。

 

文化と書き はにかみと読む 桜桃忌

文化と書き ハニカミと読みは 太宰治の講演での一節。
桜桃忌は無頼派の作家太宰治の忌日で、「太宰忌」ともいう。俳句の「夏」の季語にもなっている。

 

バナナの葉 はらりと象の 耳のごと

うちにあるモンキーバナナの葉はうちわを縦に三枚ほど連ねたほどの大きさ。
今年こそは実を着けてくれるのではと期待しているのだが。

 

天の川 あふれあふれて アマゾンに

アマゾンの 雲 モクモクと 天の川

アマゾン川の源流のあるアンデスの部族の神話では天の川の水があふれ出して地上にできたのがアマゾン川だといわれる。
そしてアマゾンの水はやがて雲となり 天の川にもどっていくのだという。

 

夏の月 海神(わだつみ)行けり 潮の路

夏になると、日が落ちてからも窓を開けておくせいか、潮騒がよく聞こえて来る。
まだ浜辺には人は無い季節、
そのころの夜の潮騒には人の想像力をかきたてるものがある。

 

雷鳴に 夜の椋鳥 ざわめきぬ

野分前 風工場の 海の音

海の方向からゴーともガーともいう響きが聞こえて来る。
それは波の音とか潮騒とかいうものとは全く違ったもので
工業地帯が突然海に出現して、
そこから工場の操業する巨大な機械の響きを聞いているようだった。

 

 

満潮に 川飲み込まれつつ 野分後(のわきあと)

 

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