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2020-04-20

五月の自選俳句(2019年以前)

酔っぱらいのおっさん

 

砂浜の 小さく見えて 走り梅雨

ためらわず ハマヒルガオの 路地に咲く

オオルリの 宙にルリと 声を引く

春を代表する鳥の声といえば鶯が真っ先に上がるが、それに次いで上がるのがこのオオルリ。
鶯の声がリコーダーやフルートなどの管楽器の響きがあるとすれば、このオオルリはバイオリンを想わせる。
音程も自在に美しい幾何学の線を宙に描いてみせるかのようだ。

 

ダミ声の おっさんたちよ ぎょうぎょうし

ギョウギョウシはヨシキリとも ヨシスズメとも呼ばれる。五月初めから中国南部から渡ってくる。
沼沢や河畔の芦の繁茂しているところに巣を作る。
この時期 川沿いの遊歩道を歩いているとよく聞こえてくる。
あたりをはばかる様子も鳴くだみ声の大きな声で騒いでいる。
まるで缶ビールを片手に辺りをたむろしている遠慮を知らないおっさんたちの様である。

 

袋ごしに小判大判 キスフライ

今夜の夕食はキスフライと決まった。
ヘルパーさんが冷凍庫からキスの入った袋を出して「いくつぐらい食べますか。」と聞く。
「どれくらいの大きさですかね。」と私が聞くと、「これくらいです。」と言ってビニールの袋越しにキスを触らせる。
小判大判ほどの小さな魚が入っていた。

 

青葉潮 沖行く舟の 電話かな

初夏の青葉の季節に太平洋沿岸に寄せてくる黒潮のことを青葉潮という。
親戚の叔父が趣味を生かして定年後にヨットにお客を乗せて日本の近海をクルーズする商売を始めたという話は聞いていたが、ある日 舟上の叔父から携帯電話を掛けてきて、今丁度我が家の前の海を通りかかっているとのこと。
ただ御宿の港は浅くて船が入らないので隣の勝浦湊に入って上陸するとのことだった。

 

2013年 東京にて

段々の ビルの渓谷 薄暑光

ミュージカル レミゼラブルを観劇するため ガイドヘルパーさんを伴って東京の帝国劇場というところに初めて出かけた。
東京駅の長い通路を上がって外に出ると 高層建築が道路の両側にそびえている。
足下はかたい路面、しかし平日のせいかそれほど人通りもなく静かな雰囲気。
五月の強い日差しを受けて歩いていると、ここが都会の中心でありながら山や谷を上り下りしているような感覚が足裏から伝わってくる。
ただ上り下りするのは土や岩の斜面ではなく、かたい階段であることを除けば。

 

若葉陰 どこをぬけても お堀前

ミュージカルを観劇する前に昼食をすませることにする。
帝国劇場の周辺を歩きながら適当な店をさがして少し歩き回る。しかし通りをぬけてみるとまたお堀の前に出る。
皇居の間近にいることを実感する。

 

まず冷茶 昭和のカレーと いふお店

結局丸ビルの地下にある飲食店街に入る。
検索ではインドカレーの店があるはずだが、なかなか見つからないまましばらく歩いていると、「昭和のライスカレー」という看板が目に入る。カレーライスではなくライスカレーである。
時間もないことだしここに入ることにする。
カウンター席しかない小さな店。冷たいほうじ茶が出て一気に飲み干す。
皿の左にご飯、右にさらりとしたカレーが寄せてあるがご飯にはあらかじめカレーがかかっている。
それにコロッケと野菜のきざんだものが入った小鉢と味噌汁が付いていた。

 

山荘の 青き扉や やまぼうし

コーラスに うぐいすやんで  山の家

一の宮の森音(もりね)にある小高い山の上にあるカフェで声楽家のアーネット一恵 ストゥルナート先制を囲んでの食事会のこと。
赤毛のアンの家をイメージして建てられたというその家はグリーンの扉があり、その前にヤマボウシが白い花を着けて迎えてくれた。

 

夏草に 半島 飲まれ イ鉄線

夏草の 大海原の 島となる

イ鉄線とは夷隅鉄道の略称である。
房総半島の南部に在って、県内でも最も山深い丘陵地帯を外房の大原から山間を縫うように東西に走っている。

 

そこここで 反撃の音 草刈り機

最近人に頼んで家の周辺の草を刈ってもらった。ここ数年放っておいたために
路地は草ボウボウとなり、隣の野原から塀越しに侵入してきたグミの木の蔓草は
こんもりと庭先を占領して風が吹く旅に窓をむちのようにたたき付けてくるほどに
なっていた。刈り取られた草は軽トラック三台分の量になった。

 

ヤングマン逝く かの歌の 理髪店

久しぶりに理髪店に行くと店の有線放送から五月一六日( 2018年)に六三歳で亡くなった西城秀樹さんの歌がずっと流れていた。
改めて彼が逝ったことを実感させられる。
それにしてもこんな風に他界した後に終日その人の歌を流してもらえる歌手は幸せなのだろう。

 

蒸しタオル ウーと答うる 薄暑かな

蒸しタオルを顔の下半分にかぶせてもらい 気持ちはよいのだが口はふさがっている。
ところがこの店の主人はそれにはおかまいなしに話しかけて来るから困った物だ。

 

母鷺の 空の家路や 甲子園

ウオ降って バレンティン取れずナイターに

2016年 五月某日 甲子園球場での 阪神対ヤクルトの試合中 レフトを守っていたヤクルトのバレンティンが突然タイムを要請した。
なんでも魚が空から降ってきたとのこと。間もなく箒とちり取りを持った球場職員の手で片付けられた。
それは30センチほどの生魚だったという。
学者の話によれば鷺などの海鳥のしわざではないかという。甲子園球場は海に近い。
母鷺が子供のためにたんまりと捕獲した魚の一部を何かの弾みに落としてしまうことがあるとのこと。
当のバレンティン「生魚ではなくフライだったら取れたのに」と言ったとか 言わなかったとか。

 

天窓から 若葉の切符 舞い落ちる

北向きの玄関の戸口の上にある小さな天窓を今年初めて開けてみた。
間もなく突風が吹いて木の葉が一枚飛び込んできた。
こんな高い小さなまどからよくは言ったものだと感心する。
それは初夏の季節に入るための一枚の切符のようにも思われた。

 

風邪引きに 塩ジャケ食えば 熊の影

冬が終わり、春が来たと油断したせいか 彼岸がすんだころに風邪を引いてしまった。
最初は喉をやられ、次はひどい咳にみまわれ、最後はお腹に来た。
ヘルパーさんにおじやを作ってもらい塩じゃけを焼いてもらった。
こういうときは少し塩の効いたしゃけがよい。
ぼんやりした頭で塩じゃけをつっついていると戸口から熊が入って来た。
熊といっても安房尚子の童話に出てくるような心やさしい熊のようなのでこちらは安心していられる。
「どうだい、そのしゃけは。なかなかいい味だろう。」と熊が言った。
「そうだね。なかなかいい味してるよ。」
「そうだろう、そうだろう。そいつはわしが取って来たしゃけなんだよ。そのうまさがわかれば大丈夫。すぐによくなるさ。なくなったらまた持ってきてやるから。」
熊はそう言うとこちらの返辞も待たずにふらりと戸口から出て行ってしまった。

 

睡蓮の 水飲みに来る 夜獣(やじゅう)あり

駅の裏手にある住宅地にすんでいる知人の話。裏手に山があるせいか 猪やきょんなどが出没するらしい。
ある日庭の睡蓮鉢の水が一夜にしてはかなり減っていることに気づいて注意をしていると、山蛭が鉢の傍に落ちているのを発見。
どうやら獣たちが夜に水を飲みに来ているらしい。
それでも鉢の中のメダカはだいじょうぶだったとのこと。

 

夜(よ)も更けて 卯波(うなみ)清らに 聞こえ来る

卯波は卯月旧暦四月ごろに立つ波のこと。このころは天候が不安定で白波が立ちやすい。
波の白さを卯の花の白さに例えたところから名づけられたと云われている。

 

一枚の 大仏のごと 夏の富士

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