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2020-05-09

今月の俳句「四月」2020

蝶々

春一日(ひとひ) 何事もなき 理髪店

平日の静かな理髪店には いつも穏やかな時間が流れている。

 

タイトルは無い ただ向き合って 春の波

去りぎわに 遠雷一つ 春嵐

丘の家 降りれば遠き 烏の巣

丘の上に家を建て 住んでいた友人がいた。夫妻で新居に引っ越した時 まず悩まされたのは烏だったという。
顔を見せると必要にこちらを攻撃してくる。
なぜだろうと不思議におもったが、新居に近いところに烏の巣があったことが判明した。
それからというもの奥さんは烏に何度も「おどろかせて ごめんなさいね。私たちはあなたたちの友達だから仲良くやりましょうね。」と話しかけたそうだ。それが通じたのか、そのうち烏もおとなしくなり、共存できるようになったという。
しかし夫妻も年を重ね、丘の家の上り下りがたいへんんになってきて、平地に家を立てて引っ越すことになった。丘の家を買ってくれる人も決まって夫妻は丘の家を降りたのだという。
烏にさよならを言ったのかどうかは知らない。

 

紋白の てふ(ちょう) 群がりて テフウキン

テフウキン かとの数だけ 蝶生まる

手風琴 てふうきんとは アコーデオンのこと。
かと とは おたまじゃくしのこと。
てふてふ と書いて ちょうちょう 蝶々と読む。古語的書き方。
有名な位置行詩に安西冬衛の てふてふ が一匹 韃靼海峡を渡って行った という作品がある。

 

屋上に 清志郎いたよ 夕燕(ゆうつばめ)

清志郎とは 忌野 清志郎(いまわの きよしろう、1951年4月2日 – 2009年5月2日)。
彼のロックバンド RCサクセションの三枚組のCDを聞いた。
全盛時代のしっかりとした声で歌われていいるものに混じってかなりくたびれた感じの声のものも入っていてそれが少しせつない。
忌野という名前はどう考えてもあまり長生きする名前ではなかった。
昔 作家の遠藤周作が三島由紀夫という名前についてこれは青年の名前で老作家の名前ではありませんからねというようなことを言っていたのを憶えている。
彼の歌の中に 高校生のころ よく 授業をさぼって屋上にいたことを歌ったものがある。
ドロップアウトしてさぼるのが好きだったような印象があるが、実際には声を休める間もなくハードスケジュールを強いられた時代もあったようだ。
今頃は屋上から地上の人々の暮らしをにやにやしながら眺めているような気がする。

 

風光り 道の先ずっと 空いている

コロナの影響で 予定というもののほとんどがキャンセルとなってしまった。
しかしそれは見方を替えれば、目の前のものがなくなり、無限に使える時間ができたともいえる。
自分の中から湧き上がってくる衝動を感じながら明るい方向に向かって歩いて行きたいと思う。

 

出口だけの 駐車場在る タンポポ野

実際 御宿駅の近くに 入口がふさがれていて、出口だけの駐車場があるのだ。
話に聞いたときは不思議な気がしたが、案外どこにでもあるのかもしれない。

 

 

氷柱三句
北海道の冬の森の風景を取り上げた番組をテレビで
やっていた。それがとても印象に残る光景だったので俳句に書き留めることにした。

大楓(おおかえで) 棒飴のごと 氷柱(つらら)垂れ

うまそうに つららなめており ゴジュウカラ

ヤマガラの つらら折りて 持ち帰る

大きな楓の木から流れ出た樹液が凍って氷柱となった。

楓の樹液といえば メイプルシロップのあのメイプルである。
なめれば甘いのだ。
この甘い氷柱が冬の森を生きる鳥たちの滋養となっているということらしい。

 

 

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